文字と音とzzz……

あるキャラクターが眠っているときによく使用されるzzzをどう読むか、という記事があった。記事タイトルは『「zzz」のこと、なんて読む?』。へぇ、と感心しながら読んだものの、多少ひっかかりを覚えたので日常のメモ程度に書き記しておく。

ひっかかりの主な点は、「なんて読む?」が「なんて発音する?」という問いになんの不思議もなく置換されているというところだ。このような置換が自然と(、、、)なされれていることから、読むということは発音と密接に関わっているのだと改めて驚いた。言い換えれば、記事内では「読む」という行為は音と完全に結びつける必要もないという立場がまったく考慮されていない点に驚きを感じたのだ。更に詳細を付せば、「zzz」は発音しなくても読める、それは音のない記号だ、という私の立場が、記事内では一切顧みられていなかったことにひっかかりを覚えたということになる。

例えばこの「zzz」に似た要素として、漫画のコマの背景によく見られる音があると思われる。JOJOの「ゴゴゴゴゴ…」や「メメタァ」というのが解りやすいだろう。あれは果たして記号なのか音なのか、という議論は夏目氏の著作のどれかで行われていたように思うが、詳細は忘れてしまった。ごめんなさい。けれど、zzzもゴゴゴゴゴ…と似たような感じでしばしば使われているからこそ、私はzzzを音を(ほとんど)介さぬ意味として受けとったのではないだろうか。

これに関連した話になるが、この前、友人と話しているとき、読書中に音読をしないと読めない、ということを聞いて驚いたことがある。私が読むときは余り音のことは考えないのだが、それを言うとあちらも驚いていた。なお、私と同様の読み方をしている人は多数いると聞くし、速読の本には「速読をするためには、黙読のときに音読をしないこと」などと書いていた覚えがある。表意文字としての漢字は特にそうだが、漢字などの文字は読めなくても読める、言い換えれば、音にしなくても読めて解る、のだから、後者のほうが時間的効率が良ければ後者を取るべきだろうという読み方を行っていることになる(もちろん理解に関する水準などはここでは考慮していない)。

さて、当該記事に顕れる回答者数名の背後には「文字は必ず発音できるもの」という信条があるように思われる。果たしてそれが健全かどうかはさておき、しかし、「記号は発音できない、しなくてもよい」という立場が浮かびはしなかったのだろうか、と訝しんだ。そのような立場を問題に含むことが適切か否かは議論を含むものの、仮に「発音しない記号がある」ことを「なんて読む?」という問いに含むことが適切だとすれば、記事中の筆者は問いの立て方を間違っているということになる。問いが適切ではないのなら得られる答えも適切ではなかろう。それは例えば「何故人を殺していけないのか」という問いが適切か否かという論争に似ているが、「なんて読む?」は「なんて発音する?」に置換しても良かったのだろうか。

更に敷衍して、問題設定ができるかできないか、というところに問題発見能力の差があるのではないかという、問いを考えた。なんともビジネス書でやっていそうな感じの皮相的な問いであるがまぁよい。

一体、問題設定の差はどこから来るのだろう(しかし果たしてこの問いは適切であるか)。その問題発見能力を伸ばしたいのなら、その原理を探るのが適当だ。例えば私が上記のような立場を取り始めた、もしくはそのような問題があると知ったのは恐らくエクリチュールやらなんやらを取り扱っている本を読んでいたからだろう。そうした哲学の本がこういうところで役に立つとは思わなかったが、そこから「何が役に立つか解らない」という教訓を導き出すことは容易かつ余り役に立たない。

続きはまとまらないので気が向けば書く。ああ、いまだ反省能力が足りない。