どうしようもないからセックス

どうしようもない、という状況にならないとセックスできない、という癖は、逆にいえばどうしようもない状況にならないとセックスできない、ということも示唆する。前向きな理由では決してない。
風邪をひいている状況でないと手が出せない。普通の時は手を出す理由がないからだ。困難にまみえないと愛をささやけない。愛をささやく理由がないからだ。
愛している、という言葉は苦痛の中でつぶやかなければならないという方針は、嫌いではない。

10年後

「あの人に追いつけない。悔しい」という言葉に対して「でも年の差は10歳だろ。10年後の君は、今のあの人を追い越しているはずだし、俺も追い越していると思う」という回答。すごく正しいのだけれど、でもそうじゃないとも思う。
現時点で追いついていないのが悔しいのであって、私が10年後に、10歳年上の人を追い越しているかどうかはどうでもいい。むしろ追いつけるからこそ悔しい。私が過去の10年にがんばっていればあの人を、今、追い越しえていたということに対して悔しい。あの人が「がんばれば追い付けるレベル」の人だということに対しても悔しい。世の中は悔しいことだらけだ。
それでも彼は10年後には追い越している「だから」大丈夫、と言い続けるわけだ。すれ違う私たち。

君は弱いと言うけれど、君の弱いというのは、弱いという言葉を使っても差支えないという意味だろう。実際弱いんじゃないだろう。つまり頭の弱さに過ぎないんだろう。

何かにつけて、「自分は弱い」「自分は強い」という種の言葉を聞くのだが、そのたびにふとよぎる言葉が以下。

「君の恐ろしいというのは、恐ろしいという言葉を使っても差支(さしつか)えないという意味だろう。実際恐ろしいんじゃないだろう。つまり頭の恐ろしさに過ぎないんだろう。...」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/775_14942.html

その当人が弱いか強いかはさておき、弱い、ということを表明するassertiveな部分、その自己主張たるや強さではないか、と時に思う。
表明する、ということには何かしら主張が含まれている、というperformativeな面は否定できない。言い換えれば、「自分は弱い」というconstativeな面だけではなく、「自分は弱い、だから○○しろ」という命令を含んだ形で他人には聞こえる、聞こえてしまう。こういうところに対して無頓着であり続けるのならば、その鈍感さはある意味での強さだ、ともいえる。そうして自分で自分、もしくは他人への愚痴を呟く姿を見れば、おそらく助けは必要ないのだろうな、と判断してしまう。
この判断が正解なのか不正解なのかはさておき、自らで自らを語ることの難しさ、というのにはほとほと手を焼く。「好きな食べものは何?」と聞かれて答えられない程度には。

ごめんなさい、を言う相手

ごめんなさい、と謝ることに対して。
「自分が悪かった」から謝るのか、「自分がやったことが悪かった」から謝るのか。
もちろん自分の行為と自分とを明確に分け隔てて語ることは難しいだろうけれど、謝罪する根拠を問われたときに「自分が悪いから」という理由を提出するとどうなるだろう。何が悪いのか、というところは有耶無耶になってしまうことと、謝ることで回復する何か。
自分の悪いところを指摘する、というけれど、「悪いところ」に還元できない何か、というものはあって、それが態度というものであるとも思う。だから、「知っているが、お前の態度が気に入らない」というのは、ある程度理にかなっているようにも思う。

泣きながら殴るということ

泣きながら殴らざるを得ない、というポジション。自分が正しいのかどうかもわからない状況で、だけれど自分の正しさを振りかざして他人の間違いを指摘するような。大学院生と後輩、だけでなく。自分より明らかに知識のある人間に対して説教をかますような、そんな場面がある。それが仕事だ、というある種の権力があって、それがあるからこそ、自分が喋らなければならない。そしてその権力はそれほど間違いではない。すべてが間違いではないのならば、私は喋り、喋りによって相手を殴らねばならない。
自分が喋る、ということはきっとそういうことで、相手を傷つけるためでも自分を守るためでも権力を守るためでもなく、だけれど自分が喋らざるをえない状況で、喋る=殴るということをしなければ回らない状況で、我々は泣きながら殴る。その中で泣いていないことは理解している。だから、俺が泣くまで殴るのをやめてはいけないし、泣きやむまで殴るのをやめてはいけないのだと思う。

この空の向こうには翼を持った少女がいる

わけも分からず泣いている少女が世界中にいて、苦しんでいる少女も世界中にいる。そんな当然のことに対して、「そんな少女、具体的にどこにいるんだ?」と問うことのディスコミュニケーションと絶望。抽象と具体。具体的にしか考えられない思考。お前が俺を殺すのだ。

いざ東京へ

今週末、東京方面の飲み会にタイミングよく誘われたので、兄さんを誘った。これで私は兄さんとの約束、「いつか私から誘いますから、だから待っててください」を終えた。
ただ問題は、何を話せばいいんだろう、ということで。ネットとかゲームとか小説とかチェックしてないしなぁ。最近(ていうかさっき)読んだ本は『仮説思考』で、「読後悶々としました」の一言で終わるような感想しかない。
オフ会(?)参加者はまだ募集中らしいですよ。ここ見ている人が未だにいるのかは知らんけど一応書いておく。まぁ、誰か一人ぐらい初めての人が来てくれたほうが面白いんじゃないでしょうか。